2020


ーーーー 10/6−−−− 快適な風呂釜


 
屋外に置いてある風呂釜給湯器から水が漏れているのを、カミさんが発見した。設備屋に見てもらったら、ボイラー内部の管が破損しており、部品を交換しなければ直らないが、古い機種なので部品は入手できないとの診断だった。つまり買い替えしかない。15年以上前の品物だから、それもやむを得ないだろう。

 設備屋は、最近よく売れる機種はお湯張りの機能が付いていて、ちょっと高いけれど便利ですよと言った。これまで使ってきた機種は、蛇口から湯を注いで湯船に入れるタイプだった。新しい機種は、追い炊きの循環口から湯が入り、あらかじめ決めた量が入ると自動的に止まる。それをタイマーでセットすることもできるという。便利さを追求することにあまり関心が無い我家だが、先代からの長い付き合いで、信頼している設備屋が勧めるものだから、それを購入することにした。

 数日後、新しい風呂釜給湯器が設置された。夕方、早速お湯張り機能を使って風呂を沸かし、入ってみた。風呂の蓋を開け、手桶を浴槽の湯に入れたとき、これまでと違うと感じた。微妙な感覚であるが、全体が温かいのである。従来は、浴槽に溜まった湯の上の方だけ熱く、底の方はぬるかった。比重が小さい熱い湯が上に集まるのである。だから手桶あるいはかき混ぜ棒で撹拌しなければならなかった。ところが今回は、全体が均一に温かいのである。厳密に測れば温度差はあるだろうが、湯を撹拌する必要は無いほどその差は小さい。

 そして湯に浸かると、気持ちよく温かかった。この気持ちよさは何だろう?と思えるくらいだった。これまでの風呂釜は、セットした温度になっても、何となくぬるかった。追い炊きのスイッチを入れると、上の方だけ熱くなり、湯に浸かったまま掻き混ぜなければ具合が悪かった。そのようにしても、全体が温かくなる感じは無く、体が芯から温まるという感覚は無かった。今回の風呂は、初めから均一に温かく、追い炊きをしても気持ちよく温まった。まるで温泉場の大きな浴槽に浸かっているような心地良さである。

 次にシャワーを使ってみた。水勢が強くて驚いた。一流のホテルの浴室でも、これほど勢いのあるシャワーは珍しいと思えるくらいである。風呂釜を新品にしただけで、こんなに違うものかと思った。このシャワーの様子から見ると、ボイラーのパワーが相当大きいのだろう。お湯張りの時間も短いし、追い炊きもあっという間に終わる。全てが、以前のものと比べて、大幅にパワーアップしている。

 風呂から上がっても、違いがあった。体がポカポカと温かいのである。それは、夜になって布団に入っても続いていた。これが、芯から温まるという感覚なのだろう。何故このような事が起きるのか。ボイラーのパワーが大きいだけで、まるで大浴場に入った時のように芯から温まることができるのだろうか。それとも他に技術革新がなされているのだろうか?

 これまでの風呂は、必要に迫られて入るだけのものだったが、新しい風呂は、入浴をするのが楽しくなりそうだ。




ーーーー10/13−−−− カクテルの思い出


 
昨年からカクテルをやり始めたことは、以前の記事に書いた(2019年8月)。と言っても、来客の際に酒席に興を添えるためにシェーカーを振るくらいで、日常はほとんどやらない。そんな無精者の私だが、さいきん思い出したように、カクテル用の酒を購入した。ジンとドライベルモットと言えば、カクテルの王様「マティーニ」である。

 バーでカクテルを頼んだことは無い。バーに行ったことすら、人生で何度も無い。だからマティーニは未経験であった。本来は、ミキシンググラスに氷を入れ、そこに計量した二種の酒を入れ、ステア(撹拌)し、ストレーナで濾して液体だけをカクテルグラスに注ぐという作り方らしい。そのような道具は持っていないから、シェーカーを代用した。ただし振らずにステアするだけに留め、ストレーナを被せてカクテルグラスに注ぐ。材料(酒)だけ準備すれば、簡単なことだ。オリーブの実を添えるのが決まりだそうだが、無いので省略した。それではマティーニではないではないか、とうるさい人から言われそうであるが。

 出来上がったものを飲んでみたが、美味しいという印象ではなかった。マルガリータのように、果汁と甘味を使ったカクテルは、無条件に美味しい要素を備えているが、ジンとドライベルモットでは、なんだか曖昧な組み合わせである。これがカクテルの王様なのか?という気がした。ネットで調べてみたら、初心者が感じる印象は、だいたいそのようなものだとの記事があった。マティーニを楽しむには、経験を重ねる必要があるとも書いてあった。カクテルも面倒なものである。

 さて、カクテルと言えば、本場アメリカで経験した、印象的な出来事がある。

 会社員時代、アメリカのインディアナポリスにあるガスタービンのメーカーへ、検査立ち合いで出向いたことがあった。検査には、現地で雇った検査員が立ち会った。初老の男性で、がっしりとした体形、気難しそうな顔つきが、西部劇に出てくる町の顔役を連想させた。昼食は、工場の近くのレストランへ行き、メーカーの担当者と共に、その検査員も一緒に、食事をした。検査員だけが、飛び抜けて年齢が高い印象を受けた。

 ウエイトレスが注文を取りに来た。あちらでは、昼食でも食前酒を頼むのが普通である。ウエイトレスの誘いに応じて、その場のほとんどの人はビールを注文した。ところが、くだんの検査員は違っていた。彼は、「Very very dry Rob-roy with twist 」と注文した。それがその日だけではなく、昼食を共にした数日の間、毎回全く同じ言い回しで注文したのであった。

 Rob-roy(ラブロイ)とは、カクテルの名前である。普通のラブロイは、スコッチウイスキーにスウィート・ベルモットを加えて作る。それをスコッチウイスキーでなくバーボンで作ると、カクテルの女王マンハッタンとなる。ドライ・ラブロイとは、スウィート・ベルモットではなくドライ・ベルモットを使う。Very very とドライを強調しているのは、ベルモットの分量を少なくせよとの意味。twistとは、螺旋状のレモンピールのことで、それをグラスの縁に添えてアクセントにする。

 かの検査員は、よほどこのカクテルが好きだったのだろう。判で押したような、例の注文の言い回しには、格別の思い入れやこだわりが感じられた。そのカクテルを飲むのが、毎日の昼食時の楽しみなのだろう。しかし、お代わりはしない。一杯だけを、いつくしむようにして飲んでいた。

 さて、おまけにカクテルにまつわる小話を一つ。ポケットジョーク集に載っていたものである。

 アジアの人がニューヨークでバーに入り、マンハッタンを注文した。出てきたカクテルのグラスの縁には、緑色のパセリが添えられていた。普通マンハッタンにはチェリーなどを添えるが、パセリというのは聞いたことが無い。考えあぐねた末に、バーテンに問うてみた「このパセリはいったい何なのか?」と。するとバーテンは答えた「セントラルパークでさぁ、旦那」




ーーー10/20−−− ずるいペンギン


 
孫娘のMちゃんは、はにかみ屋である。爺に対しても、簡単には心を開かない。幼稚園の年少組に通っているが、その方面でも気安くない。「今日は行かない」と言って親を困らせたり、行っても終始つまらなそうな顔をしていて、先生方を不安にさせる。

 ところが、である。案外要領の良い面が発見された。気が乗らない態度をしていると思いきや、他の子供たちがボーっとしている隙にサッと順番待ちの列の前の方に割り込む。そして一瞬ニヤッとし、すぐまた「あたしゃつまらないんですよ」という顔に戻る。かけっこの出走順を決める段になると、それまでチンタラしていたのが、突如ダッシュしてアンカーの位置に立つ。スタートとアンカーは、目立つので人気が高いのである。他の子供は異議を唱えたりしないから、それで決まってしまう。

 さすがは次女だけあって、要領の良い面があるのだと思う。長女のHちゃんは、まじめな努力家で、要領よく渡っていくタイプではない。つまらなさそうな態度は一切見せず、積極的に自分がやりたい事を見付けて、真剣に取り組む。自分の世界に入り込み過ぎて、少々心配になるくらいである。

 ところで、Mちゃんの話を聞いて、以前テレビで見たあるシーンを思い出した。

 南の方にペンギンの島がある。岩だらけの小さな島に、無数のペンギンが暮らしている。ペンギンは産卵をする場所を作るために、近くの海岸から石を持ってくる。いくつかの石を並べて囲いを作り、その中に卵を産むのである。林立するペンギンたちが、それぞれにいそいそと石運びをする様は、なんだか微笑ましかった。しかし、善良そのもののように見えるペンギンの中にも、ずるい奴がいる。他のペンギンが持ってきた石を、横取りして自分のものにしてしまうのである。石を運んできたペンギンが、次の石を取りに行くためにその場を離れると、それまで背を向けて立っていた奴が突然向き直り、石をササッと自分の方に運ぶ。そしてまた背を向けて、何事も無かったかのように立つ。戻ってきたペンギンは、「あれ、さっきの石はどこに行ったんだろう?」と怪訝そうな顔をする。しかし横取りした奴は、「あたしゃ関係ないよ」という顔で、そ知らぬふりである。その要領の良さには、笑ってしまった。

 Mちゃん、今は周囲がのほほんとしているから良いけれど、年齢が上がって子供たちの間で競争が意識されるようになると、敵を作るのではないかと心配になったりする。爺は何かにつけ心配するのである。しかしたぶん、そういう状況になればなったで、また上手いやり方を見付けるのだろう。  




ーーー10/27−−− 料亭のルール


 
自分が経験したのではなく、人から聞いた話である。昔の事かも知れないし、限られた場所の事かも知れない。ともかく、ちょっと驚いた話がある。

 京都の料亭で会食や宴席を設ける場合は、料金のことを口にするのはご法度だというのである。つまり、料亭に入ったら、すべて女将におまかせ。今日はこんな食材が手に入ったから、こんな料理にします、という説明を一方的に聞かされるだけ。それに対して、「お値段はいかほどか」とか、「予算はこれくらいで」などと言うと、

「そないな野暮なこと、言わんといておくれやす」

と叱られてしまう。その心は、お金のことを気にしたら、美味しい料理はできまへん、楽しいお席にもなりまへん、ということだとか。京都の人は格式にこだわって気難しい面があるというが、これもその一端か。

 この話をしてくれた人は、こう結んだ

 「営業で接待をする際に、京都の料亭を使うというのは、とても恐ろしいことなんですわ。ベテラン営業マンでないと、とうていできまへん」